1 month ago
#189 薬学。。。。。。。 なんていうか
(Twitterの #2289 あたりで活動してくれるとうれしい部分もある)
薬学というなかに臨床薬学という領域があるが、医学の基礎と臨床以上の幅で薬学も基礎と臨床があるのでそういう名称がないと薬剤にしか目が向かないので必然的に使うのだが、じつは微妙な空気を持った言葉でもある。
また、「サイエンスカフェ」やら「サイエンスコミュニケ-ション」なる輸入概念があって、市民側の目線(視線)で見れば全く定着していない。そこへメディカルコミュニケーション、これに至っては異なる二つの概念が存在しているのではないかとおもう側面がある。患者さんとの対話技術(健康動機の向上等も含む)と医療技術等の理解の広報の二つの側面は、別の目的、別の技術だし、研究を行っている講座も社会医学系の中で別の部署だったりもする。でも、まあ、それがある。
薬学は、患者さんとのコミュニケーションがあるが、グロバールだったりオール日本的なものでは無く、「家元」制みたいな感じで「流派」的なものであるように見える。おそらくまだ「先駆者」と看板をもらった人だけが社会的なあるいは分野内の地位を形成しているからだとおもう。
しかし一方で、誤った副作用情報は光の速度で走るのに、正しい情報は徒歩の速度でしか走らない状況があって、「副作用のない(全くない)くすり」とか「副作用が嫌だから薬より健康食品」とか不思議な方向があったり、逆に「」風邪を引きそうなので風邪薬」「(医師の判断でなく)化膿しそうなので化膿止め」という不思議な儀式が定着してもいる。
薬を悪者とする空気と、薬を過剰に使う空気が共存し、最後に原則1剤成分の医療用の有り様を説明せずに剤数からだけで「薬漬け」というと、市民がその言葉に反応してしまう。上手く薬を使う、必要なときに最小限度の薬を専門家の関与で安全性と有効性を高めて使うという方向に向いてこない。通販がなぜ悪いんだという浅い考えと自己利益のために市民をあえおる浅い考えの経営者とそれに拍手とおくる市民。
患者さんの気持ちが一番なのであるが、そこに様々な方向からのアプローチで疾病を予防し、検査し、治療して行くときに、薬剤が一つの選択肢を与えてくれることは間違いない。そうした、薬剤を提供(創薬、製造、流通)させて行くときに医学、薬学、あるいは倫理その他他分野の人がものすごい努力をしていることに考えを馳せてもらえない。
「ああ、こんな程度なんだ」と愕然としてしまう。愕然とするのは、結果に対して愕然としているのであって、「がんばってるよね」って声をかけてくれという話ではない。どうして、この程度にしか理解してもらえていないの、どうして叩く対象にしかならないとということに悲しみを感じている。
薬学関係者が、「薬くそばい」で生きているわけはないので、生産年齢の人生の大部分をかけて裾の裾の裾の方かもしれないが基礎の石積みの下に敷く砂の一粒一粒を運ぶ程度かもしれないが、せっせと頑張っている。現在それをこえる効率的な手法がないから、現在あるもっとも効率的な方法で努力しているし、より効率的な方法も常時探索している。
それでも、まだ低い評価しかない場合があるのは、薬に関する市民講座みたいなものが不足しているのだろうか。医薬品抜きの医療が成立しないことは確実だし、適切に使用しなければ有害作用が出るのも確実、また極低い頻度で有害作用が起きるのもある部分では不可避、だからこそ専門家の関与が必須なのだが、専門家の関与は不要、あるいは専門家不要の流れで、医薬部外品の大幅増加、登録販売士制度で一般用薬品の2/3のカテゴリーは事実上薬剤師の関与から離れた。(元々あった薬種商制度も経過措置ののち消滅する)
消費者は、安全な薬物治療が欲しいのか、安易でリスキーな薬物治療をしたいのか、その両方という矛盾したあたりが現実と見えるが、不思議な旗を振っていないか。要は、薬学関係者の市民の理解を高める働きは全く不足だったと言うことか。
書ききれないのでやめる。時々書くか、別の枠組みが必要と思うので別の枠組みで。。。。。という予告編として書いておく。
