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2 years ago
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研究の評価

教育、研究、医療、文脈によって出入があるがこうした分野の話題で「成果」「結果」は評価できない、評価すべきではないとう論調がある。ある部分真実であるのだが、それが免罪符の文脈で使われてはならない。

医療サービスの評価(もちろん医療技術の評価もだがサービス面だけの評価)、教育成果の評価は試行から着実に、評価手法への道が見えてきた。意義論を切離して、結果の評価(アウトカム評価)は絶対に必要。

評価できないから、カネださ無いと海外に行くという、江戸時代の大井川の渡しのうちの悪徳な手口もどきの発言はどうかとおもう。まずは評価手法を作るべき。他の人の権利関係ではなんでも、評価手法を作り出してきて、自分たちのことでは「評価できない」とはフェアではない。それことtwitterだって様々な評価を、遊びのレベルだが生み出している。論文数、インパクトファクター、引用数、特許数、ライセンスアウト数、育てた博士数 etc. それの混合、色いろあると思うし、分野特性や場面に応じて分けてもいいと思う。なにも提示しないで「評価する手法がない」「評価すべきではない」は、隠匿に過ぎない。

それをしたら捏造が増えるぞという話がでますが、それは原因のすり換え。また、政府系研究費に依存できないでやってきた大多数の研究もある。

パンドラの箱をあきるときではないか?公的研究費がどう使われたか、どういう成果(学会、論文、製品、収入とその還元先)につながりが出たかは公表すべき。大学の研究費からの特許、国の特許の収入が大学や社会に還元されず個人の収入になっていないか、….. 収支も公表されず、成果も一般向けに分かる形で公表されず、成果も還元されていなんてとは、ないのか?

研究の評価への努力と、直上に述べた情報の開示なくして、この予算が復活することは、科学者が利益団体へ落ちるという選択をした歴史的瞬間になる。大きな声をだしている科学者の、次世代への責任は大きいい。

関連URL( 飛び先はresearchmap.jp )
http://bit.ly/5naT9y
http://bit.ly/5YboYe

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